今朝、銀行に行って、何者かによって銀行の口座から自分にとって多額のお金が引き出されているのを発見した。何者かはわからない。まだ調べていない。もしかしたら早く調べなければいけないのかもしれない。しかし犯人はだいたい検討がついている。よく見もしなかった紙に数十万単位の引き落とし額を知らせて来た、区か都か国に違いない。払わなくてはいけない金であることは百歩譲って潔く認めよう。しかし、こちらにも払いたくない時と払いたくない時があるのもわかって欲しい。やり場のない逆ギレを抱えて職場に向かった。
職場では職場の地獄が待っている。限られた日数でこなさなくてはならない、際限なき作業量。終わりはすぐそこのはずなのに、こなしてもこなしても作業が消えていかない。友人がコカ・コーラの緑茶製品「一(はじめ)」のペットボトルについていた駅弁の食玩を自慢してきた。名物駅弁の並ぶ奥に窓があり、その車窓からその土地の風景が見えるといったシロモノ。うまく説明できないが、そんな2×3×2センチくらいの小宇宙。ちょっとうらやましい。眺めていると、青春18切符で遠くに来てしまったような気分だ。しばし青春18切符で行きたい遠い場所のことを考える。キラキラ光る海に緑の小島がコロコロ浮かぶ瀬戸内海を思う。荒涼とした地面を踏み締めて恐山を彷徨う自分を想像する。奈良や熊野の山奥で聴こえる森の声や妖精の囁き(幻聴)…。
へとへとに疲れて帰る頃、友人がひとり、会社の入り口の薄暗がりの中でスドクをやっていた。ふらふらと近づき、区や都や国にお金を盗られたことを愚痴る。10数年何一つ払わずにきた友人は、あたしの話を聞き、何かを心に強く決意していた。区や都や国の出納係のみなさん。彼女は悪くありません。全てあたしが悪いのです。ひとけのない路地の、罪なき電信柱のスネをガツンと蹴ってやった。
帰りの電車の中で中原昌也の短編集
「名もなき孤児たちの墓」を読みながら、今日のこの、何か憑き物が憑いたようなドロリとした感じは、すべて中原昌也に起因してることに思い当たった。読んでみた人にしかわからないであろう。この荒んだ感じ。この呪われた感じ。毒を吐くんでなく、自ら吐瀉物となって読む者を襲う、あの感じ。
ところで、この短編集の中の「血を吸う巨乳ロボット」の主人公。
「新潮」を立ち読みしたときは確かに「石平」だったのに、単行本では「菱田」になってるの。石田衣良に訴えられないようになの?もうクレーム受けたのかな。中原昌也が屈したなら、あたしもいろんなもんに屈してみてもいい気がした。春はもうそこ。