ここ10日くらい、雑誌をあるページでで折り曲げたまま、机の上に放置してある。特に意味はなく無精なだけだ。そのおかげで、毎日、その開かれた片ページだけを目にする。そこにある写真はこの写真の別カットだ。

摩耶夫人及び天人像/飛鳥時代/法隆寺献納宝物
「ルンビニー苑にて摩耶夫人が無憂樹の花枝をた折ろうとするや釈迦が腋下から誕生したとの仏伝中の一場面を造形化したもの」で、東京国立博物館にある。花の枝を折ろうとしたら、腋の下からポロリと出て来たのが釈迦だということだ。って解説しなくてもわかるか。10日くらい前にこれを読んだ途端、右脇の下に何か異物感を感じてしまった。有名な重文だし、釈迦の伝説にそういうものがあるのは知っていたのに、なぜか先日異物感。しかし、花枝をた折るという悪習がないため(ごめんなさい、摩耶夫人!)、何も出てきてはいない。いったい右手を天に突き出すような機会はあるだろうか。……と考えたら、呑み屋で注文する時によくやっている行為ではないか!
という話でもいいんだけど、それではなく。まあ、腋の下というのは腕と胴体の2方の間だから“股”には違いなく、貴い人だから上の股から産まれたことにしているのかな。とか、無憂樹っていい名前だな。とか、無憂樹ってどんな木だろう?とか考えるともなく考えている。ちなみに無憂樹って
こんな木だそうな。摩耶夫人が35歳だったある晩、天から6つの牙を持つ白像が降りてきて、右腋から体内に入る夢を見たのだという。意外にも高齢出産だったのだ。当時の35歳だから今でいえば52歳くらいにあたるのではないだろうか。根拠はないけど。
いや、無意識にこのページを開き続けているってことは、何か重要なメッセージを見逃してないか、自分。と自問自答するも、心の中で「ねえよ!」という腐った声が聞こえて来る。今週は腐ってる。ああ、酢豆腐を腹一杯食べたい!と、そろそろ腐りもピークに達しつつあるので退散。