LSTYさんのブログを読んで、あたしも十庵さんのブログについて書きたくなった。本当はコメント欄に書いていたんだけど、長くなったのでこちらに書く。
十庵さんのブログは読む価値のあるブログだった。価値の有無を言うと感じの悪い方向に話が進むので表現を変えると、読んでたいへん刺激を受けるブログだった。アレをオカズにいくらでも書きたくなる、そんなブログ。十庵さんの文章はいつだって、自分の頭で考えたことを自分の言葉で表現し、ユニークな展開をみせていた。毎度、すごいなあと感心するのだ。それほど更新を楽しみにしていたブログが、更新中止ならともかく、過去ログまでなくなったのは本当に残念でたまらない。LSTYさん同様、アドレスは知っているのにメールはまだ送っていない。あたしの場合は今送っても「なんでですか!?」「再開してくれ!」としか言えないので。でも、十庵さんは絶対に書き続けるタイプの人だ。いつかどこかで再開してくれると信じている。もうどこかで再開していればいるかな、と思う。
LSTYさんは十庵さんがブログをやめた原因を、
はてなで繰り広げられたコリクツ問題と推測されていた。残念ながらか幸いなことにか、あたしは十庵さんがはてなで地味にやりあっていたことは知らなかった。ただ、十庵さんがブログに辟易してる風は十分ありましたよね。
というような調子で、呑気なあたしは何も知らないので、十庵はてな事件を横において話を進めると、LSTYさんが語っているコリクツの話は大筋で同意。
コリクツで固められた文章というのは、所詮自分を守る方にしか力が注がれていないものが多いためか、他人が読んでも頭に入らない。つまり何も伝わらない。伝わってない文章が他者を動かせるわけがない。動いたとしたら、それは言葉で動いたのではなく、外見上だけ言葉のフリをした不愉快な行為が動かしたもの。エントリーがコリクツで、コメントもコリクツで、というブログをたまに見かける。そのやりとりがコリクツ遊びといってしまえばそれまでだが、他人と対話する意志のない他人同士の言葉のやりとりに、遊びという要素を、あたしは一切感じない。まったく興味ない。
また、当たり前のことだが、理屈を並べることと理性はイコールではない。よって、理屈を並べることの反対に感情的になることがあるわけではない。理屈を並べて感情的に振る舞う人間のいかに多いことか。そりゃそうだ。理屈なんてのは、自分を合理化するための手段に過ぎないのだから。理屈を並べれば理性的に見えると思っている人がいる。しかし、言葉が伝わらないのに反比例して感情的な面が浮き彫りになる。会話でも文章でもそうだ。本人が主張したい以外の、本当はそう見せたくないものがいっぱい伝わってくる。あれは興味深いし、気をつけなくてはいけない。
言葉なんてもんは上手く使えば、きっと強力な武器にも薬にも何にでもなるのだろうと思う。でも、そう使いたくても使えない人が大半だろう。上手く使うのは本当に難しく、面倒くさがりのあたしは地雷を日々踏んで歩いている。議論ベタで理屈をこねる人って、例えはあまりうまくないけど、あやつり人形を使おうと思ったらあんまりうまく使えなくて、そのうち人形に糸が絡まっちゃった。面倒だから人形ごと相手に投げちゃえ!エイ!って感じか……違うか。ちなみにあたしは理性もなければ議論も苦手で理屈をこねるのも下手。だからすぐ人形を投げちゃう。もし、投げていることに気づいてないとしたら、あまりに滑稽で哀れだ。
デイリー投稿ウィークだが、本日は呑んでくる可能性が高いので、朝に投稿した。本日のタスク完了。折しも偶然、LSTYさんも「書き続けることですよ」と書いていた。その意図とあたしのデイリー投稿ウィークの意図は異なるのだが、あながち違うとも言いきれないのかもなあ。と書きながら、十庵さんがブロガーの繋がりってなかなか生まれないと書いていたことを思い出し、この様子をシメシメと見ているのではないかと思った。これ、十庵ブログ交流陰謀説ね。