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# たまのひととき
仕事の用事があって、久々に知人の事務所に行った。2か月ぶりだろうか。何か手土産でもと思ったが、時間に追われる1日だったので、事務所近くのコンビニでなだ万のきな粉黒蜜プリンを3つ買って行った。もちろん1つは自分の分だ。

コンビニのプリンで失礼します、と挨拶すると、美味しいエスプレッソが出て来た。
仕事にとりかかる前に、今月の高座情報や最近行った高座の話、最近もらった落語家のサインの話などを聞きながら、プリンとエスプレッソでのんびりした。平日にのんびりした気持ちになるのは久々で、職場以外に居心地のいい場所があるって幸せだなあと思った。2人も、どこかで持ってきた落語のフリーペーパーやら落語特集を組んだ雑誌などをいろいろ出してきてくれる。どうでもいいことを真剣に話す時間って素敵だ。

仕事が終わってからも落語の話をしていた。落語の本をつくろうよというので、いろいろ考えた。落語家を撮影した橘蓮二の『高座』という写真集を見せてくれた。橘蓮二さんという人は、落語家を撮る写真家さんらしい。いろんな落語家の高座での表情を捉えた写真集なのだが、これがいい。なんというか自分が興味を持っていたり、好きな落語家の写真はとてもいいのだ。表情のひとつひとつみても豊かな表現力が見てとれるし、ひとりの人間として今まで真剣に生きてきたことが顔に出ている。たとえば談志や小三治がその筆頭か。一人ひとりの噺家がもつ、たくさんの一瞬の表情に惹き付けられ、そのいくつかは30時間以上経った今も、瞼の裏に残っている。

噺家の写真として強い印象が残っているのは、大昔の雑誌「SWITCH」の表紙。この号は古今亭志ん朝特集で、表紙はひょいと振り返った志ん朝をモノクロで撮ったものでだった。これが粋でいなせな江戸っ子・志ん朝の魅力をよく伝えていた。というのは、強いていえばそう説明しちゃうだけの話なのだが。たしか写真は繰上和美だったと思う。同じく中面のグラビアも撮っていたが、あの志ん朝はかっこよかった。今から思えば、もちろん写真家も非凡だろうが、あれだけの被写体になりえた志ん朝はやっぱり非凡で、これはもうこじつけなんだけど、若くして亡くなったことすら最初から決まっていたように感じる。あたしが最初で最後の志ん朝独演会に行った時には、すでに声に張りはなく、体はすっかり痩せ、主観でしかないのだろうが、それでも噺家としての気迫や凄みを感じた。帰りにロビーで知り合いの落語ファンに会ったのだが「楽屋に行った人に聞いたけど、やっぱりすごく悪いみたいだよ。これが志ん朝を見る最後になるかもしれない」と言っていた。亡くなる数カ月前のことだった。志ん朝を思い浮かべるときはこの志ん朝でなく、やっぱり脂の乗った頃の姿になってしまう。

帰り際、おせんべいとチョコレートをもらい、桂文楽のCD-BOXを借りて来た。今、チョコを食べながら文楽を聞いている。というとまとまりがいいのだが、実のところは文楽のCDはまだ聞いておらず、チョコは昨日のうちに胃袋におさまってしまった。
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