さて。大学病院2日目。ようやくいつもの先生に会えた。いつもの先生といっても、抜歯前に1回、抜歯の際に1回の計2回しか見てもらってはいないのだけれど、妙に安心感を誘う先生であることは前に述べたような気がする。
抜歯直後、先生はあたしの場合は腫れが少なくて済むだろうといっていた。スムーズな抜歯に、あたしもそんなものかもしれないと思った。しかし、出張前の激務と出張先で歯茎が腫れたこと、帰国直後のその足でストレスフルな取材をこなさなくてはいけなかったこと、ただでさえ体力的なハードな出張であったことなど、もろもろの要因が重なったせいか、抜歯の負担に体力がついていかなかったのではないかと思う。もちろん、抜歯後に抜歯窩にばい菌が入ったことが一番の原因であるにせよ、いろんな要因が絡んでこうなったのだと思う。「お手数おかけしてごめんなさい」と謝ると、「そんなこと言わないでください。今、一番苦しんでるのはタコさんなんですから」と穏やかに言ってくれてホッとする。
首をぐりぐり触られる。相当腫れているのである。毎日同じようなことを書いている気もするが、とにかく首の腫れが気管を圧迫し、息が苦しいのである。飲み物を飲むことすら困難で、工夫して飲まないと鼻の穴から飲み物の一部が出て来る。おまけに口の奥からは膿が出て来る。左の耳の奥はキリで突かれたように痛み、その上のこめかみもキリキリと痛む。圧迫されて上顎と下顎の間は指1本通らないため、食べ物を食べるのは夢のまた夢。それだけしか口が開かないということは当然ちゃんと喋れない。ちなみに鼻から飲み物が出ないコツは、左首が圧迫されているため、飲み物を口に含んだ後に、いったん右側に飲み物を寄せ、右側からそっと流し込むように首を通していくのである。こうすると鼻から出ないのだ。この情報が役に立つ人間は多くあるまいが。しばらくは毎日点滴を打ち、患部を消毒してもらうことになった。
1回目の点滴を経て翌日、少しは痛みが楽になったような気がしたが、相変わらず薬が切れると激しい痛みがぶり返し、心身全体がどんよりと鬱状態になる。鬱は心だけに起こるものではないのだと知った。服用の量が決まっているはずなのに、頓服用の痛み止めだけが、想定量の1.5倍の早さでなくなる。2倍にならないのは、単にひたすら我慢しているだけのことだ。
病人気分に弱いあたしは、上に書いたような首の上だけ満身創痍の状況に、すっかり弱気もいいとこである。やっぱり眠れないのだと訴えたところ「明日、もう1度血液検査をして、結果次第では入院した方がいいでしょう」と言われた。入院すれば点滴は十分やってもらえる。食べられなくたって、管理下にあれば栄養もとれる。しかし、最悪なことに今週・来週は地獄のように忙しいピークなのだ。点滴を打ってもらっている間にいろいろ考えた。入院するには、入院前に何をしなくてはいけないのか。やらなきゃいけないことリストは、長い長いものになった。しかし、この痛みを抱えたまま仕事を続けるのも不可能で、いっそしばらく休んだ方が迷惑をかける幅も少なくてすむのかもしれない。
点滴が落ちていく間に仕事と痛みと苦しみを考えていたら、泣けてきた。泣けてくるぜ、と思っていただけのつもりだったが、涙がでてきた。そのうち先生が戻ってきて、泣いている姿を見られたぽいので、話を逸らすつもりで「痛み止めがどうしても足りなくて、痛い時にどうしていいのかわからなくなる」と、よく考えたら全然話が逸れてないのだけれど、そう訴えた。すると先生は「今は1回2錠って書いてあるけど、1錠ずつ飲んでいけばいいし、痛み止めは痛いとき我慢しないで飲んでいいんですよ。飲みたくなったら、痛い時に飲んでください。我慢しないでくださいね」と言う。じゃったら、すぐさまオーバードーズだ!と反論する元気もなく、グズグズしながら小さな声で「はい」と返事をした。
先生は確実にあたしより若いのだが、とてもおっとりとした穏やかな語り口で、話していると不思議と安心感を感じるのだ。いろんなタイプの先生がいるのだが、精神的に弱いあたしの場合、キビキビとした先生よりも、こういう物腰のおっとりした先生の方がいいのかもしれない。自分のことでいっぱいいっぱいの時、異物感を感じない人が自分の面倒を見てくれているというのは、いいものだ。入院は避けたかったが、先生が面倒を見てくれるなら、入院も悪くないような気がしてきた。帰宅後、病院のホームページの入院の諸注意を読み、タオルやらパジャマやら洗面用具やらを準備した。