先日Nちゃんに生ミルキーをもらって初めて食べた。うまいのう。来週末から韓国に行くのだが、すっかり申込書を送るのも振込も忘れていた。ついでに今日は志らく&談笑の二人会の申し込みまで忘れていた。朝から志らくの本を読みながら会社に行ったのにも関わらず。
この本を本屋で見つけたとき……と言っても、随分前になるのだが、あたしは積ん読派というのでしょうか。本を読むのも好きだけれど、それ以上に本を買ったり、部屋にばらまいたり、積み木代わりにするのが好きなんです。という話ではなく、これを本屋で見つけた時「おいおい『赤めだか』の二番煎じかよ」と思った。『赤めだか』というのは立川談春の本で、もう涙腺の弱ったあたしは、最初の方の競輪場の話でうるっと来たような名作。なんでここでウルッと来るのか人はわからないらしいが。きっといまだに地道に売れ続けているんではないだろうか。数ヶ月前にも落語ファンでない職場の人からも「『赤めだか』読んだよー。すごいいい!」と報告されたもの。でも、この志らくの本もいいのだ。全編に負けん気の強さとプライドが溢れているので、やっぱり『赤めだか』が談春ファンでなくても心を動かされるのに対して、違うスタンスだと思う。
実は志らく、今まで見たことがなかった。音源だけはあるが、正直、それほど興味をそそられずに終わっていた。が、5月3日のよみうりホールで初めて生で見て、印象がガラリと変わった。この日の第一部は志らく&談笑の二人会、第二部は談志独演会。志らくは「中村仲蔵」をやった。明らかに第二部の談志を意識しているのではないかと思う。これがよかった。中村仲蔵を聞きながら、談志と志らくら弟子の芸道をだぶらせる。このだぶらせ方が厭味がなく、気持ちよくだぶってしまうのだ。うまかった。聞き応えがあった。そして一度退場してからのち、「中村仲蔵」で植え付けられた余韻がどこかに残っていて、談志が登場するだけで、おーーーと思ったのだ。まあ、いつも思うんだろうけど。
志らく、今度はZAZEN BOYSとセッションします。あたしにとってこんなラッキーなことってない。ZAZEN BOYSの向井がそれを発表したとき、土砂降りの野音で雨合羽に身を包んでいた(このライブは神ライブだった…と言われている。つい先月ね)。おお、志らく志らく!みたいな声がちょっとしていたが、いずれも我々年代のファンだったように思う。うれしいことです。
で、何が言いたいかというと、談笑のファンというのも確実にいて、なぜかあたしの周りは女が多く、でも、談笑がレポーターをやっている番組のファンでもないのだが「癒される」「見るとホッとする」「あの雰囲気が好き」と、誰も談笑を噺家として批評しないとこが女子である。ちなみに5月3日は両親を連れて行ったのだが「下品なネタの人」と認知されてしまい、下品なギャグを連発するイロモノとして認知されているのが悲しい。
さて、ビールも随分と進んできた。先日、喬太郎さんにお目にかかる機会があり、頭の回転の良さ=落語脳のすごさを目の当たりにし「ちょっと『寿限無』ができたくらいで、落語家ができると思うのは大間違いだった」ことにようやく気づいた。小学生以来であるから20年くらいそれに気づかなかったわけ。で、一緒に同席した人にそれをいうと「いや、タコちゃんならできるよ」「えーー、そうかな?でも滑舌も悪いし…」「ううん、いいと思うよ」と言われ、あっさり再びその気になり、今度は「粗忽長屋」か「短命」ができそうな気がしている。カラオケボックスならぬ“落語ボックス”があるといいと思うのだが、素人の下手な話は聞きたくないし、明烏なんてやられてみてごらんなさいな。まあ、なんでもいいんだけど、3人で行ったらそれだけで2時間以上は確保しなくちゃいけないし、一席やると絶対もう一席やりたくなるし、そしたら確実に毎度“朝までコース”だし。でも一軒くらいあってもいいんじゃないかな、落語ボックス。と思う。