今日の日記。ブログ意識のあるブロガー(説明省略)は、日記型ブログの氾濫を嘆いているのだろうが、とりあえず今週は「毎日書こう週間」なので許してね。毎度のごとくオチなし3本。
■うちの駅の出入口付近に間口一間の小さな酒場が2軒並んでいる。朝10時からやっている居酒屋だ。店内にはコの字型のカウンターがあるのみで、7人も入れば満席の店。どちらの店もおつまみは全品300円。毎日たいそう賑わっている。今日の帰りも店の前を通りかかると賑やかな声が聞こえてきた。「なに?ビールでいいの?」というママという役職をもっているであろうおばさんの張りのある声。わいわいがやがやとアルコール分を帯びたおじさん達の声。そこにストンと入ってきたアルコール分の少なそうな30代くらいの声が聞こえてきた。「ボクは毎晩、お姉ちゃんとお姉ちゃんの恋人の晩ご飯を作ってるんですよ!」。酒場にそぐわない清涼感のある高い声と、状況のよくわからない嘆き。
お姉ちゃんとその恋人のために晩ご飯の買い物に行き、料理し、皿を洗い、その後は2人の団らんというか団らんのために家を追い出され300円居酒屋で無意義(有意義?)に時間を過ごす弟。団らんが終わった頃を見計らって家に帰り、風呂に入って寝る毎日をそっと想像してみた。切なくも穏やかな日々。
■あたしにとってランチタイムは読書と珈琲を楽しむ時間であって欲しいので、ひとりを好む。よってランチに誘われると無下に断ることが多い。最近は無下に断るのもイヤになり、とうとう「基本的にランチは1人で行きたいので」と告げた。夜はフレンドリーだが、昼はちっともフレンドリーでないのだ。グループランチが好きな同僚はちょっと引いていた。まあ、仕方あるまい。今日は会社のそばに3時までやってる喫茶店があると聞き、いそいそ出かけた。午後2時過ぎ。客は2組。あたしと、20代前半の若者5人組。やたら声がでかい。あまりのうるささに本は1ページも進まない。そのうちチキンソテーが来た。食べている最中に、カウンターに常連客らしい50代の男性が座った。しばらくして、若者集団は帰った。
しんと静まった店内で男性がママに聞いた。「あれ、うるさかったな。A社の人?」。A社の人であるあたしはドキリとした。上品で可愛らしいママが答えた。「ううん、絶対A社じゃないわ。A社の人はもっと上品だもの」。さらにドキリとした。社員証をつけているわけでもないのに、無理矢理“上品なA社の人”を装う。背筋を伸ばしたり、美しいと思われる角度でナイフとフォークを握ってみたり、チキンソテーを小さな口(うそ)にあうように小さく切ったり、エレガントに取っ手をつまんで珈琲を飲んだりしてみた。慣れないことは、やるもんでない。かくして、上品なA社のあたしは、うるさいやつらがいなくなっても読書に集中できなかったのだった。
■宮崎勤の死刑執行。法相が鳩山になってから13人目だか何だかだそうだ。宮崎勤事件だか宮崎勤だかを扱った本が近々出版されるらしいのだが、話題づくりのために出版社が鳩山に賄賂→このタイミングで死刑執行だったらイヤだなと思いついた。
ところで死刑執行について。人権云々の問題については無知で語る言葉もないのだが、最近、事件の加害者が「死刑になりたくて」と言っているのを聞くと無性に腹が立ち、羞恥刑ができたらいいのにと思う。あたしなら終身刑より羞恥刑の方がイヤだ。市中引回しだけでもイヤだ。でも、市民参加型の処刑ってのはいろいろ問題があるのだろう。
と、思いつつ羞恥刑の話を続けると、そのうち自治体単位で「地域処刑」「自治処刑」なんてのがでてきて、派手な市中引回しを観光の目玉にしたがる自治体がでてくるだろう。湯水のごとく税金を使い、サーカス風や横溝正史風など処刑に趣向を凝らしだす。地方を食い物にした処刑ソリューションビジネスが起こる。羞恥刑のの珍妙さは外国人旅行者を呼ぶ。アキバの時代は終わった。クールジャパンから狂うジャパンへ。こんなに外国人観光客が呼べるのか!と気づいた政府はがっつり予算を組んで国家的な羞恥プロジェクトを立ち上げる。羞恥キングダム、ニッポンへようこそ!っていうのはどうだろう。テーマは変れど、すべては同じサイクルだ。そのうち羞恥刑で主役を張りたい輩が犯罪を犯すのだ。止まらなくなってきたので、このへんで。